HOME >> 会社概要 >> 当社の沿革
- 昭和38年4月、鹿島建設の全額出資により株式会社日本技術映画社として設立される。
- 初代社長は当時鹿島建設会長で参議院議員の鹿島守之助であり、設立の背景には文化事業へ懸けた初代社長の長年の夢と高い理想がある。
- 当社は設立当時、東京オリンピックを契機に急速に高まった各種建設事業の映像記録を中心に、科学技術、芸能文化、広報宣伝等の幅広い分野で映画制作を手がけ豊かな経験と実績を培った。
- 建設事業を描いた主な作品として「倉敷から水島へ・・・・・」(鹿島建設)、「アルプスにダムが出来た」(鹿島建設)等がある。
- 昭和43年には、記録映画「超高層霞が関ビル」を作成、文部省特選並びに教育映画最高賞を獲得。
- 昭和44年4月、霞が関ビルの誕生までの経緯を、おびただしい関係者の挿話を織り交ぜながら当時の時代背景の中で描いた劇映画「超高層のあけぼの」が完成、全国上映で観客数約2百万人に達した。
- この劇映画は文部省選定、科学技術庁推薦、文部省青少年映画賞の長編映画部門最優秀作品に選ばれ、当社はこの事業を機に社名を鹿島映画株式会社と変更した。
- 早くからテレビドキュメンタリー部門にも進出した当社は、フジテレビ系列では「世界の都市開発」や「世界のエネルギー」等のシリーズを、TBS系列からは「アラブ縦断」、「ドキュメント・インドネシア」等を、また日本テレビ系列では「ビーナス」「ポンペイ」等を、ゴールデンタイム向けスペシャル番組として相次いで全国放映し反響を呼んだ。
- 本来の記録映画部門でも、国際化時代に対応して「世界の都市交通」(トヨタ自動車)や「水のある砂漠−イラン−」(鹿島建設)、「明日を考える世界−エネルギーと文明−」(電気事業連合会)等の大型作品を制作する一方、科学研究のフロンティアや、先端技術に挑戦し、「流氷・・・・・・そのなぞを追って」(文部省)、「生きている金属」(学術振興財団)、「明日を開く新素材」(科学技術庁)、「溶接」(石川島播磨重工業)等の作品で科学映画に独自の分野を開拓した。
- これらの作品は産業映画祭、科学技術映画祭を始めとする国内外の各種の映画コンクールにおいて多くの賞を獲得しスポンサーの信頼と内外の評価を得ている。
- 映像での国際的事業としては、平成2年よりアメリカ・スミソニアン研究所と共同で学術文化映画「日本の庭園」(Dream Window)を、平成10年にはアメリカのミシシッピ河を舞台にした民族音楽のドキュメンタリー映像「歌うアメリカ」全4巻を制作し、世界各国で放映された。
- 当社は昭和62年2月、社名を「株式会社カジマビジョン」と改称するとともに、63年に建設業の資格を取得して、博覧会展示事業への進出を図り、63年に横浜博覧会"YES'89"に向けた東京電力出展企画コンペで当選、70ミリ立体映像、パビリオン建設を含む企画・制作・運営等を総合受注したのをはじめ、東京モーターショウ(ブリヂストン展示ブース)、国際防災博(政府展示)、東通原子力発電所展示館「トントゥビレッジ」等を手がけて映像と並ぶ事業部門を確立するとともに、親会社鹿島の幅広い環境関連技術分野と連携して、人と自然の共生をめざす21世紀の環境づくりにも参画しつつある。
- 急激な展開を遂げる情報・ニューメディアの分野では、早くから社内にCG部門を設け、平成5年本邦初のフルモーションによるCD−Iソフト"天王洲ストーリー"を制作、平成6年にはこの実績を生かして理化学研究所のCD−Iによる総合紹介システムを納入したほか、通産省の所管する新映像産業推進事業(HVC)には設立当初から参加し、文化財、エネルギー、情報技術等をテーマとする多数のハイビジョン作品や、デジタル映像、データベースを手がけている。
- 当社はこのように、多様な分野に渉って蓄積した経験と幅広い企画力を駆使し、クライアントの企業活動、文化活動に対してより豊かなコミュニケーションの舞台と手段を提供すべく取り組んでいる。
